2026年6月、あるパーソナルジムが破産した。月3万円で通い放題という手頃さで、都心の一等地に11店舗まで拡大したブランドだった。負債は約2億3,000万円。ところが、日本のフィットネス市場は同じ年に7,100億円と過去最高を更新している。しかもパーソナルジムは、マンションの一室でも開業できるほど参入障壁が低く、新規参入は絶えない。参入は簡単で、市場は拡大している。それなのに、なぜジムは潰れるのか。
この問いを、公開統計をたどって解いていく。結論を先に言えば、鍵は「幽霊会員」——会費を払い続けているのに来なくなった人たちだ。彼らは日本全体で年間およそ1,200億〜1,900億円を払っており、その金が業界の利益の中心を占めている。そして、この構造を理解しないまま規模を追った事業者が、拡大の途中で倒れていく。
参入は簡単、生存は難しい——拡大する市場で起きる淘汰
パーソナルジムは、他の店舗ビジネスと比べて始めるのが容易だ。広い土地も、高価な厨房設備も、大量の在庫もいらない。マンションの一室とマシン数台、そして指導するトレーナーがいれば成立する。だから、資格を持ったトレーナーが独立して開業するケースが相次ぎ、同じエリアにパーソナルジムが乱立する。
一方で、倒産も起きている。破産したBVEATSは、2018年に代官山の1店舗から始まり、広告を打たず口コミで会員を伸ばし、2022年には都内11店舗を展開していた。月額3万円台の通い放題という価格が、当時2ヶ月30万円が主流だったパーソナル市場で注目を集めた。だが売上高は2022年11月期の約4億円から直近では1億円台へ縮小し、債務超過に陥る。11店舗を4店舗まで減らしても資金繰りは回復せず、2026年6月に破産を申請した。
市場は過去最高、参入は容易、なのに拡大したブランドが消える。この一見した矛盾は、「参入のしやすさ」と「生き残りやすさ」がまったく別物であることを示している。入口が広い市場は、退場も多い。そして退場の理由を理解するには、この業界の利益がどこから来ているのかを知る必要がある。
幽霊会員は、日本で年間いくら払っているのか
「幽霊会員」とは、会費を払い続けているのにジムに来なくなった人を指す。まず、彼らが日本全体で払っている金額を、公開統計から試算する。前提は3つ、いずれも公開データである。
- 会員数:288.7万人(経済産業省「特定サービス産業動態統計」2024年12月・フィットネスクラブ会員数)
- 市場規模:7,100億円(帝国データバンク「フィットネス業界動向調査2024年度」・過去最高)
- 幽霊会員の割合:2〜8割(業界解説・業界関係者の公表値)
月会費を代表値の7,000円として、割合ごとに年間支払額を出す。計算式は「288.7万人 × 割合 × 7,000円 × 12ヶ月」で、検算可能である。

| 幽霊会員の割合 | 年間の支払い総額 | 市場7,100億円に占める割合 |
|---|---|---|
| 5割(控えめな想定) | 約1,213億円 | 約17% |
| 6割 | 約1,455億円 | 約20% |
| 7割 | 約1,698億円 | 約24% |
| 8割(業界で語られる通説値) | 約1,940億円 | 約27% |
会員一人あたりに直すと、幽霊会員は年間8万4,000円を一度も使わずに払っている計算になる。これが数百万人規模で積み上がった結果が、1,200億〜1,900億円という総額だ。市場の2〜3割が、通っていない人のお金で成り立っている。
なお本試算は「フィットネスクラブ」全体が対象で、パーソナルジムに限定しない。月会費7,000円は代表値で、実際は店舗形態により幅がある。桁を大きく外す前提ではないが、幅のある概算として扱う。
幽霊会員は「意志が弱い人」ではなく「不満のない人」である
これほどの規模になる理由は、幽霊会員が退会しないからだ。そして退会しない理由は、意外なところにある。
コーチム編集部がジム経験者200名に実施した独自調査では、ジムをやめた・通わなくなった人の73%が「ジムに不満を持っていなかった」と回答した。設備でもトレーナーでもなく、続ける仕組みがなかっただけだ。多くの人が運動やダイエットに失敗する理由は、施設の質ではないという結果である。
不満がなければ、解約という積極的な行動も起きない。「また行こう」「もったいない」と思ううちに月が過ぎる。同調査では、挫折した人の約半数が180日以内に完全離脱していたが、その半年間、会費は毎月引き落とされ続ける。幽霊会員は、怒って去る人ではなく、静かに払い続ける人である。この静かな慣性が、業界の収益を支える。
その1,200億円は、業界にとって「最も原価の低い利益」である
幽霊会員の支払いを「壮大な無駄遣い」と見るのは、業界側から見れば正確ではない。来ない会員は、電気もマシンも水もスタッフの時間も消耗品も使わない。売上だけが立ち、原価はほぼゼロ。ジムにとって最も利益率の高い会員である。
この構造は業界内でも認識されている。あるフィットネス向けサービスのリリースは、月会費モデルについて「いつ退会してもおかしくない幽霊会員が収益の一部を支えている状態」と明言し、業界メディアも幽霊会員を「黙って会費を払ってくれるお得意様」と表現している。月会費型ジムは、来ない会員がいてはじめて健全な利益が出る。逆に全員が真面目に通えば、混雑と原価増で、値上げかサービス低下を迫られる。
ただしこの利益には脆さもある。幽霊会員は「お得意様」であると同時に解約予備軍でもある。接点が薄く不満の兆候が見えないため、家計見直しや値上げ通知をきっかけに、ある日まとめて抜ける。依存が深いほど、収益は砂上の楼閣に近づく。
本題:なぜ、構造を知っていても拡大期に潰れるのか

ここで、冒頭の問いに戻る。幽霊会員が利益の源泉であることは、業界の経営者なら誰でも知っている。知らないから潰れるのではない。知っていて、その果実を取りに行こうとして、届く前に力尽きる。理由は3つある。
理由1:幽霊会員は、時間を買って初めて手に入る。入会直後の会員は、全員が「通う気」で来る。幽霊化するのは数ヶ月から数年後だ。つまり原価ゼロの優良会員は、まず「熱心に通う高原価の会員」として現れ、時間をかけて幽霊に変わる。新規出店したばかりの店舗は、幽霊会員のストックがまだ薄く、目の前にいるのは原価のかかる現役会員ばかり。利益が出る体質になる前に、出店の投資が先に来る。
理由2:わかっていても、止まれない。参入障壁が低いということは、競合も同じ速さで増えるということだ。エリアに次々と新店ができるなかで拡大を止めれば、好立地を競合に取られる。だから「今のうちに面を取る」という判断に傾く。BVEATSが口コミだけで11店舗まで急拡大したのも、この力学の中にある。止まれば競争に負け、進めば固定費が積み上がる。構造を知っていても、競争がアクセルを踏ませる。
理由3:幽霊会員モデルは、規模がないと成立しない。来ない会員が利益になるのは、限界費用が低いときだけだ。それは無人化か、多店舗のスケールメリットでしか実現しない。対面指導を売りにする小〜中規模のパーソナルジムは、そもそも無人化できない。幽霊会員という果実は見えているのに、自分の業態では手が届かない。届かせるには、無人化や大規模化のための資本がいる。
これらを重ねると、淘汰の輪郭が見えてくる。経営者は幽霊会員のことを知っている。知っているからこそ、「規模を作れば幽霊会員で儲かる」と考えて拡大に賭ける。だが幽霊会員のストックが積み上がる前に、拡大の固定費が先に来る。競争は止まることを許さない。そして無人化の資本を持たない事業者は、そもそもその果実に届かない。BVEATSが11店舗まで急拡大して消えたのは、無知ゆえではなく、幽霊会員という果実を規模で取りに行った賭けに、届く前に力尽きたと読むこともできる。
chocoZAPの躍進は、幽霊会員モデルの純化だった
では、その果実に届いた側はどうなったか。最も鮮やかに体現するのがchocoZAPである。運営元のRIZAPグループは、かつて高単価パーソナル「結果にコミット」で知られた。その本体ブランドの店舗数は、ピークの130店舗前後から100店舗規模へ縮小する一方、月額数千円の無人ジムchocoZAPを急拡大させ、グループ営業利益の半分以上をchocoZAPが稼ぐ構造に転換した。
無人ジムは、来ない会員がいても人件費が増えない。限界費用がほぼゼロだから、幽霊会員がそのまま純利益になる。「結果にコミット」した会社が、結果を問わない低価格モデルで最大の利益を上げている——業界がどこで儲けているかを示す、象徴的な逆転である。無人化という資本を投じられる規模だけが、幽霊会員の果実に手が届いた。
そして、ここで冒頭の破産に話が戻る。月数千円で幽霊会員になれる場所ができれば、月3万円を払い続ける理由は薄れる。幽霊会員は、使っていないものに払う層であるがゆえに、価格に最も敏感だ。BVEATSが失ったのは、熱心に通う会員ではなく、静かに払い続けていた幽霊会員だった可能性が高い。安い幽霊会員市場の出現が、高い通い放題の収益基盤を侵食した——参入も価格競争も激しいこの市場で、規模の果実に届かなかった事業者が退場していく構図である。
例外は「通わせないと潰れる」ジム——料金体系で構造は逆転する
ここまで月会費型を見てきたが、すべてのジムがこの構造ではない。幽霊会員から利益を取れない業態がある。回数制・都度払いのジム、その多くはパーソナルジムだ。
回数券は使わなければ売上にならず、都度払いは来なければ1円も入らない。これらのジムは、客が通わなければ儲からない。だから食事指導まで踏み込み、トレーナーが伴走する。幽霊会員に頼れないぶん、目の前の会員を通わせ続けることが、そのまま経営の生命線になる。

「来なくても払うジム(月会費・通い放題)」か、「来た分だけ払うジム(回数制・都度払い)」か。前者は利用者の挫折が利益になり、後者は利用者の継続が売上になる。インセンティブの向きが正反対である。
消費者の側から見れば、これはジムを見分ける実用的な軸になる。自分がどちらと契約しようとしているのか。月会費が自動で引き落とされるのか、通った分だけ払うのか。これを意識するだけで、「通わないのに払い続ける」という最も高くつく失敗は避けやすくなる。
結論:挫折は、あらかじめ収益計画に織り込まれている
幽霊会員は、ジムのお荷物ではなく屋台骨である。年1,200億〜1,900億円は、月数千円を「また行くつもりで」払い続ける数百万人の慣性でできており、その慣性が月会費型ジムの利益を支えている。
参入が簡単な市場で、拡大したジムが潰れるのは、矛盾ではない。市場を膨らませているのも、個別のジムを追い詰めているのも、同じ幽霊会員という存在だからだ。誰でも参入できるがゆえに競争は激化し、幽霊会員の果実は規模を持つ者だけが手にする。安く幽霊になれる場所が増えれば、高い幽霊会員を抱えた店から順に立ち行かなくなる。入口の広さと、生き残りの難しさは、同じ構造の裏表である。
最後に、利用者の側から見ておきたい。もし日本中の会員が明日から全員きちんと通えば、業界は今の形を保てない。混雑と原価増で、値上げかサービス低下が起きる。つまり業界は、一定数の利用者が挫折することを、あらかじめ収益に織り込んでいる。ジムをやめてしまったこと、通えなくなったことは、意志の弱さではなく、そうなりやすい構造の帰結だ。ただ、ひとつ確認してほしい。あなたの引き落とし明細に、もう何ヶ月も行っていないジムの名前は、残っていないだろうか。
報道・記事制作の方へ(引用ガイド)
本記事のデータ・図表は、出典の明記と本記事へのリンクを条件に、転載・再構成を許諾します(事前連絡不要)。数値の最新版・追加試算・属性別クロス・取材のご依頼は、コーチム編集部までお問い合わせください。
そのまま使える要旨(引用可)
- 幽霊会員が日本全体で払う会費は年間およそ1,200億〜1,900億円。フィットネス市場7,100億円の2〜3割にあたる(コーチム編集部試算)。
- 幽霊会員1人あたりの支払いは年約8万4,000円。一度も使わずに払っている計算になる。
- ジムをやめた人の73%は「不満がなかった」。挫折者の約半数は180日以内に離脱する(コーチム編集部・ジム経験者200名調査)。
- 来ない会員は原価ゼロで売上だけが立つため、月会費型ジムでは幽霊会員が最も利益率の高い会員となる。
- 幽霊会員は入会後に時間をかけて生まれるため、新規出店直後は原価のかかる現役会員が中心。利益化の前に出店投資が先行し、拡大期の資金繰りを圧迫する。
- 回数制・都度払いのパーソナルジムは、この構造の例外。利用者が通わないと売上が立たない。
見出し例
- 参入は簡単、生存は難しい──「幽霊会員」1,900億円が生むジムの淘汰
- 拡大する市場で、なぜジムは潰れるのか──市場7,100億円の不都合な構造
- 通わないジムに年8万円──日本の「幽霊会員」総額を試算
【試算の前提】会員数288.7万人=経済産業省「特定サービス産業動態統計」2024年12月・フィットネスクラブ会員数。市場規模7,100億円=帝国データバンク「フィットネス業界動向調査(2024年度)」。幽霊会員割合=業界解説・関係者の公表値(2〜8割)に基づく幅。月会費7,000円は代表値で、実際は店舗形態により異なる。本試算はフィットネスクラブ全体を対象とし、パーソナルジムに限定しない。金額は前提の置き方で変動する概算であり、特定事業者の経営状態を評価するものではない。BVEATSの店舗数・負債額、RIZAPグループの店舗数・収益構成は、各社発表・IRおよび報道に基づく。「参入障壁の低さ」「拡大期の淘汰」に関する記述は、公開情報をもとにした構造的な解釈であり、特定事業者の経営判断を評価するものではない。
